昭和五十六年六月十日 朝の御理解


御理解第四十六節「痛いのが治ったので有り難いのではない。何時も壮健なが有り難いのぞ。」


 いつも壮健なのが有り難いと実感出来る時に人間の助かりを得たという事になると思うですね。痛いもなければ辛いもない世界、しかもそれが実感として有り難いと分からせて頂いた時人間の助かりはあるのです。例えばそりゃそうだなあ、痛いのが治ったからというよりか、どおんもなかつ方がやっぱおかげたいち、ここまではだあれでん分かるわけ。 分かる事は話を聞けばそうですなあという事が分かるんですけれどもね。実感としての喜びです。そこに私は信心修行がいると思うですね。
 昨日は信徒会長であります秋永先生が参拝してまいりまして、今年も又壮年大会を開かせてもらう。それで日にちの事やらいろいろ先達てから協議をされたので、講師の事やらまあいろいろなお届けがありました中に、その大会のテーマを頂きたいという事でございました。どういう事を神様にそれを頂いときましょうと言うとりましたが、“人間の真の助かりに於いての合楽理念”とまあいうような今度の壮年大会のテーマにしたらどうであろうかと私は昨夜から思わせて頂いとったら、今日の御理解ですからね。はあもうあらたかな事じゃある、かみさまにお願いしてこういうおかげを頂いたというところを通らせて頂いて、そのいつも壮健なのが有り難いと真実それが実感出来れる信心になった時にはじめて人間の助かりという事になるのじゃないでしょうか。
 それは、病気が治った、金銭のお繰り合わせを頂いた、こんな困った事件がこいうふうな解決のおかげを頂いたこれもやっぱ助かりです。けれども真の助かりとは言えません。 真の助かりというのは、どこまでもこの世で幸福をかんじさせてもらえる、まあ云うなら貧争病のない世界。それこそ真善美に輝く世界に住まわせて頂いて初めて人間の幸福という事の条件が足うた時。まあ人間の助かり、しかもその助かりはこの世あの世を通しての助かりになるというところに、今日の御理解いつも壮健なのが有り難いのぞという信心が実感としてのさまざまな教えを頂き体験に体験を積んでそこが分からせて頂くおかげ。 私は今度講師をどこの先生にかお願いしようと、どこの人に頼んだらいいだろうかと、まあいろいろまあ先日の会議の時に話が出たんだそうですが、でなかったら親先生に講師になって頂くかという事だったそうでございますけれども、私はその大会のテーマをそんなふうに心に感じさせて頂いて人間真の助かりに於いての合楽理念。
 だから人間が本当に助かる、人間が本当にあの世までも助かって行けれる手立てを頂く事の為にこりゃどうでもこうでも合楽理念のマスター、そしてそれを実験実証、成る程そうだと分からせて頂いてそれこそあれもおかげ、これもおかげと分かる信心。
 言うなればいつも壮健なのが有り難いのぞと実感出来れる信心を頂いての助かりを頂かなければいけないなあ、いよいよ合楽理念のここだけを覚えときゃよかといったようなものではなくて、真の助かりを頂く為に一つの合楽理念のマスターが必要だなあというふうに思うし、同時にこう云うなら例えばもし講題のもとに私が話をするならば、これは私以外の者では話せない事だと思いました。
 私自身が合楽理念に基づいてまあ云うならば今日の助かりを頂いているという。助かりを頂いている者じゃなからなきゃ話し得ないのですね。
 その輪郭、ただその説明といったような事ならば出来るでしょうけれども、それはどこまでも話であってまあ云うなら空論ですね。それによって助かったという話でなからなきゃならん。為にはこりゃ人間の真の助かりというものは合楽理念を以てする他はないというふうな頂き方をまあ申しますけれども、人間の助かりに於いての合楽理念という事はこりゃ私以外には説けないのだ。これはいよいよもって私が徹頭徹尾ここんところを説いて説いて説き明かしてそれを実験実証しておかなければいけないなあという事を思うんです。
 合楽理念を語る。語る事は出来るでしょう。けども助かりの事実をね、私を見て下さいと言いながら説けるのは私だけしかないと思うです。これはもう心だけの事じゃありませんね。総ての助かりという事に於いても、云うならば人間の幸福の条件というものが足うてくる程しの心の状態ですね。その心の状態がどういうふうにして出来たかというと合楽理念によって出来たという事になるのです。
 皆さんいよいよ合楽理念のね、実験実証を本気でさせて頂いて人間の真の助かりというのはそれはまあ目先目先の助かりもあります。又それも必要です。そこから入ってね、そして真の助かり、云うなら合楽理念を以てして自分の心が助かり救われて、その救われた助かったその心に人間の幸福の条件が足ろうてくる程しのおかげを頂いて、初めてそれはあの世までも持って行けるという事になる。
 それを一言で申しますとですね、痛いのが治ったのが有り難いのではない。いつも壮健なのが有り難いという有り難いの実験ね。有り難いという真相ですね。ただならこの今の短い御理解を頂いて、ほんにそうどころじゃなか、どおんもなか時が人間の一番有り難い事じゃとだけなら信心のない者でもほんにそうだとすぐ分かる訳ね。けども合楽理念を通して分かった時初めて、云うならばあの世この世を通してそして人間の助かりの根本原理であるところの合楽理念をこりゃ本気で勉強しなけりゃいけないなあ、本気で実験しなければいけないなあ、そして自分の者にしておかなければいけないなあという思いをいよいよ強うするのです。 
どうぞ